【第一話】のびのびとプレーさせてくれ、ストレスなく何もかもが楽しかった小学時代

「うぇ~~~ん。うぇ~~~ん。」

僕はいつものように泣いていました。

 

こんな時は必ず、母か兄がかまってくれます。

男三兄弟の三男で生まれた僕は、幼少期は常に母と次男がかまってくれました。

 

僕はいつも母か次男にべったりで、遊ぶ時は次男についていって同じ遊びをしました。

キャッチボール、追いかけっこ、かくれんぼ、テレビゲーム、おもちゃ遊びなど

いろいろとしてきた中にボール蹴りがありました。

小さなころから僕は次男とボールを蹴り育ってきました。

 

 

幼稚園や小学校から家にかえると次男が

「ボール蹴りにいこうぜ!」

と誘ってくるので、喜んで毎日近くの広場でボールを蹴っていました。

 

雨の日は母から

「雨降って濡れるから家にいなさい!」

と言われていましたが、次男と母の目を盗んで

マンションのロビーでボールを蹴り続けていました。

(マンションのロビーでボールを蹴ってはダメですね、ガキだったのでお許しを)

 

僕がサッカーに出会ったきっかけは、次男とのボール蹴りだったのです。

(よくあるベタなパターンですね)

 

メッシ世代と呼ばれる同じ1987年生まれであり、

小さいころに日本でJリーグというプロサッカーが始まりました。

 

赤い帽子とついてるキャラクターがなんかかっこいいと思い、

鹿島アントラーズの帽子を買ってもらい、

小学生の時は鹿島アントラーズを応援していました。

(子供は単純ですね^^。そしてチームのロゴやキャラクターは重要かも)

 

日本では本格的にサッカー人気が高まってきており、

周りでもJリーグチップスについているカード集めというのはひと時ブームでしたね。

 

 

幼稚園と小学2年生まで、近くのサッカークラブに入って週に一回練習していましたが、

小学校に新しくサッカーチームができるということで、こちらにお世話になることになりました。

 

「楽しむ」というコンセプトのチームで、

なぜかドッジボールや鬼ごっこなどサッカー以外のことを多くしました。

練習時間は90分なのに、サッカーは30分なんて時はしょっちゅうでした。

(サッカーチームというより、ただのお楽しみ会と呼んだ方がいいのかもしれません)

 

それでも遊ぶのが大好きな僕は、

当時はそんなことに疑問を抱くこともなく、ただ遊んで楽しんでいました。

 

小学校の中学年になってもそれは変わらず、サッカーの時間は短く、

練習というものをしたことがなく週に一回、試合ばかりの日々でした。

 

サッカーでいうと、次男と毎日ボールを蹴ることで実力を上げていったのかもしれません。

 

 

そして小学6年生と学校生活の中で威張れる学年を迎え、

ここからサッカーというものに初めて触れるようになりました

 

と言っても、小学5年生までサッカーらしいことは何もしてきていないチームで、初めのうちは

「DFはボール取ったら外(サイドライン)に蹴りだせー!」

という今ならマジギレしそうな戦い方をしていました。

 

あるとき監督が、

「DFの選手はボールを取ったら、味方にパスを出そう」

という指示があり、それをチームは愚直に実行していきました。

(本当に子どもは純粋ですね!)

 

小学6年生になって初めてフォーメーションを決めて戦い、

僕は4-3-1-2のトップ下としてプレーしていました。

 

それまでのチームはほとんど勝てませんでしたが、この時期くらいから勝てるようになり

サッカーというものにさらにはまっていきました。

 

小学校生活でも変化があり、このころから毎週水曜日に

サッカーの試合をするという習慣が身についていました。

 

チームの戦い方はボールを取ったらトップ下の自分にボールを預け、

そこからFWの選手へのスルーパスという1パターンの戦い方でした。

しかも自分は守備免除で守備に下がらなくていいと言われていたので、

ディフェンスというものを全くすることなく、ただスルーパスを通す役割を担いました。

 

小さいころから次男とボールを蹴ってきた僕にとって、

パスというものは簡単に思え、スルーパスもバシバシ通して適任でした。

 

 

幼少期に遊んでいていつも怒られるのは次男の役割で、

おのずと周りの顔をうかがって生きてきました。

最近従姉に会った時にこう言われました。

「あんたは周りの大人の顔色をうかがっていて、賢い子やったわ」

人によってはイヤミに聞こえるのかもしれませんが、

ポジティブなのでほめ言葉にしか聞こえません^^

 

驚かれることもあるのですが、

選手の重心や体重移動というものが簡単に読み取れる能力があるらしく、

スルーパスやパスを通すときに、ここに蹴ればパスが通るというのが簡単に分かります。

(おそらく周りの顔色をうかがって生きてきたことで身についたのでしょう)

 

視界に入ったすべての選手の重心がわかり、

相手選手が届かず味方選手が届くところが瞬時にわかります。

(パスセンスがない選手はこれがわからないのかもしれませんね)

 

 

そんな能力もあってスルーパスを通すことだけに快感を覚えた小学生時代でした。

多くの子供はゴールを決めることに最大の喜びを覚えますが、

僕はその時からスルーパスを通すことに最大の喜びを感じていました。

 

さらに監督が怒る監督ではなく、

「ナイスパス!!!」

とほめて伸ばす監督であり、

小学生時代にサッカーで怒られたことがなく育ちました。

 

小学生時代はチームの勝利よりも、

自分がスルーパスを通せたか通せなかったかだけしか興味がなく、

チームが負けても特にショックを受けるということもありませんでした。

 

おそらく小さいころから母と次男がいつもかまってくれて育ったこともあり、

とても自分勝手で多くのことを考える必要もなく、

自分のことしか考えない小学生時代を過ごしました。

 

 

 

そして怒られた経験がなく自分勝手だったことで、

中学生になると大変苦労することになります。

中学では本物の監督、本物のサッカーと出会い、

それまでのサッカーとは全く違う戦い方をして、

僕のサッカー観のベースはここで作られたと言っても過言ではありません。

 

またライバルの存在により自分の役割を変えるしかない体験もし、

苦悩とともに少し大人になりだした中学時代。

このお話はコチラになります。

↓↓↓↓↓

【第二話】本物のサッカーを教えてくれた監督との出会いによって起きた苦悩の中学時代

 
 

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