【第三話】サッカー観が全く違い話ができず、やっていけないと絶望感を覚えた高校時代
O監督に怒鳴られながらも、中学時代になんとか続けてきたサッカー。
中学校を卒業して、公立高校に入学した僕は迷いなくサッカー部に入部。
「この高校はサッカーめちゃくちゃ弱いよ」
という評判は聞いており、それなら
(1年のときから試合に出れてそれはそれでいいやん)
と心の中では思っていました。
しかし、この高校で絶望と挫折を覚え、
サッカー人生が終えてしまうことをまだ知りませんでした。
この高校では中学のO監督の考え方や信念とは違い、
どこかサッカーをただしているだけのように、初日から感じていました。
ここでも幸運なことに、
入部するとすぐに3年生が引退して、ひとつ上の代との練習となりました。
監督(国語の先生)にはしっかりとした考えがあったようですが、(以下先生)
どこか古いシステムと戦いかたをしていました。
システムは3-5-2とありきたりでしたが、
3バックはリベロと呼ばれる、1人はカバーリングする戦いかたでした。
リベロと聞けば1970年代のベッケンバウアーが有名で、
90年代くらいでこのポジションはほぼ消滅していたはずです。
この当時は2000年代であり、
どこのチームもこのリベロは採用していなかった。
しかもそのリベロに、なぜか僕が抜擢されました。
(CBですらやったことないのにどうすればいいんだ)
と戸惑っていました。
ひとつ上でおとなしい性格の先輩の指導のもと、
リベロという動きを覚えていくことになりました。
「まず基本は2人のバックのカバーリング」
とボソボソと言われ、さらに
「最後尾にいるからマークやチームの修正の指示」
と言われました。
僕は試合中に声を出すタイプではなく黙々とプレーする選手だったので、
チームメイトに指示するという経験はほとんどありませんでした。
この指示という部分で大変苦労しました。
まずひとつ上の先輩に指示するのに遠慮してしまいました。
当時の僕はサッカーのプレー面ではなく、
知識や考え方に対して自信を持っておらず、
どういう指示をすればいいかまったく分からなかったのです。
また刻一刻と変わる状況に頭の状況判断が追いついておらず、
間違った指示だったらどうしようと指示を出せませんでした。
それでもおとなしい先輩は
「間違ってもいいから指示だし!先輩でも試合中は呼び捨てでもいいから」
とボソボソと語りかけて助けてくれました。
そのおとなしい先輩は本来リベロでプレーしており、
試合中になれば声は小さいですが、指示はしっかりと出していました。
ただ膝の怪我をしているようで、プレーは膝の調子が良いときしかできないようでした。
その先輩から教わった助言で最も印象深いのは
「3秒に1回首振れ!」「首!」「首!」
膝の怪我でプレーできないので審判をすることが多く、
練習試合の時には何度も、
状況判断するために首を振れと僕に助言をしてくれました。
僕の指示はまだ不十分でしたが少しずつできるようになりました。
そして先生が中心になりながら、
どこかまとまらないままサッカー部は進んでいきました。
しかし、このチームの残念なことは、
本当に弱い!!!!!
これにつきました。
ひとつ上の新チームになっての初勝利は9月くらいで、
しかも対戦相手は自分と同じ1年生だけのチームという状況でした。
僕の最終ラインの責任はもちろんあると思いますが、
本当に弱い!!!!!
中盤は簡単に突破され、いとも簡単に最終ラインのところまで攻撃されるのです。
先生は4バックに変更して戦ったりとどうにかしようとしましたが、
いかんせん個の実力が弱い。
その時にはセンターバックを任されていましたが、リベロからの変更で
僕も自分の役割をまっとうするだけで手いっぱいという状況でした。
そんな勝てないチーム状況の中で進み、ひとつの大きな出来事が起きました。
先輩たちが選手間だけでチームの問題点を、
紙に書いて話し合おうとしたのです。
ここまでは良かったのですが、
マネージャーがこの紙を間違って先生に渡してしまったのです。
何が問題なの???
チームは前進しようとしてるやん!?
と思われたかもしれませんが、
その紙の内容は半分以上が、先生に対しての批判のかたまりだったようです。
このことで先生は心を痛めてサッカー部の顧問を辞めてしまい、
この高校のOB生が臨時の監督としてやってくることになりました。(以下OB)
このOBとサッカーの話がまったく合わず、
僕のサッカー人生は転機を迎えることになりました。
先生が辞めてもなにはともあれサッカー部は継続という運びとなり、
OBがどんなサッカーをするのか楽しみにしていました。
スタメンはいくつか変更があり、そのひとりとして
自分はスタメンを落とされセンターバックから、
セントラルミッドフィルダーにポジションも変更されました。
しかし、スタメンではないというよく理解できない采配。
自分で言うのもなんですがセントラルミッドフィルダーなら、
先輩たちより自分の方が優秀だろうとずっと思っていたからです。
この采配は自分にとって受け入れがたいもので、そのOBが重視していることは、
スタメンを見ればフィジカル面だったということはすぐにわかりました。
サッカーはフィジカル面よりもテクニック面、
そして戦術を理解した、頭のよい選手がプレーするものだと思っていました。
このOBの到来により僕はスタメンを外されて、
あまり多くないベンチ生活を過ごすことに。
中学時代にもひとつ上の学年の時にはベンチの状況はありましたが、
O監督は必ずといっていいほど毎試合起用してくれていました。
1試合まるまるベンチに座るなんて機会はほとんど経験していません。
ベンチで見る試合はとても長く感じ、なによりプレーしないので面白くありません。
実力負けならまだ納得いくのですが、僕としては納得いっていない状況。
日に日に不満がたまる状況でした。
そしてチームの戦い方にも不満を覚えていました。
前からプレッシングをかけようとしていますが、
自分にとっては全然プレッシングになっていないように思いました。
ある日プレッシングの練習中にOBに対して
「このプレッシングは~~~で、~~したほうがいいんじゃいないですか?」
と2~3分ほど話したことがありました。
そのときに即答で
「これでいいねん!」
たった一言で自分の話を終わらせました。
僕はこの時のやるせなさと、愕然したことを今でも覚えています。
中学時代はなにか話せばO監督は絶対に話をしてくれて、
サッカーの話ができたのですが、
ここではもはや話すら聞いてもらえないのかと感じました。
それからの僕は、目には目をでOBの話や指示をすべて無視し、
ピッチ上では自分で考えながらプレーすることになりました。
この態度がOBの怒りに触れたのか、
自分の途中投入という出場機会は激減しました。
そして僕が辞めようと決心するキッカケが起こりました。
ある試合で途中投入を命じられ準備し、後半途中に投入されました。
残り時間は15分ほどあったのですが、
出場して5分ほどでもう一度ベンチに下げられました。
この交代にはチームメイトばかりでなく、
対戦相手の選手からも驚きの声で、
「あいつ、さっき出てこなかったっけ!?」
という声がちらほら聞こえてきました。
この交代の意図は全く意味が分からず、
唇をかみしめて首を横に振りながら、
なくなくベンチに下がるしかありませんでした。
こんなことも1試合だけだろうと思ったのですが、
この交代の方法は数試合にわたって続きました。
もはやなんのために試合に出場しているか意味が分かりませんでした。
途中投入される時の指示はいつも
「試合を落ち着かせてくれ!」
5分で試合に大きく影響する選手ならスタメンで使うべきだし、
途中投入してベンチに下げんなと、本当に腹が立って
我慢の限界を超えてサッカー部に行かなくなりました。
これで僕のサッカー人生は幕を閉じました。
「尊敬できないやつの下には絶対につきたくない」
ということを強く思いました。
またこの経験からサッカーでは
「ピッチ上の責任は監督ではなく、やっている選手たちの責任」
「チームは同じ方向を見ないと勝てないし上手くいかない」
と学びました。
監督に決定権はあれども、
ピッチ上では選手たちは自由にプレーすることができ、
ピッチの状況に監督が対応できないなら、
選手たちが対応すべきだということです。
監督がダメでも、選手たちがどうにかすれば勝てる可能性はあったように感じます。
しかし、この高校では自分の味方は数人しかおらず、
ほとんどの人が監督のイエスマンで、浮いた存在となりました。
僕は逃げ出した格好でサッカー部を辞めてしまいましたが、
日本のなかでの少数派はなかなか認められないので、
難しかったのかなと今でも思います。
最終的に僕が出した答えは自分のサッカー観を信じてプレーすることでしたが、
あまりのサッカー観の違いに苦しみました。
サッカーというよりも、もしかしたら人間関係による
絶望と挫折だったのかもしれませんが。
OBも僕たちが3年になるときに辞め、代わりに
ガンバ大阪のユースで指導経験がある優秀な体育の先生が監督に就任したようでしたが、
その後はサッカー部とは一切かかわらず、高校生活を終えました。
サッカー選手として僕は
小学時代:オフェンシブハーフ
中学時代:ディフェンシブハーフ、センターフォワード
高校時代:リベロ、センターバック、セントラルミッドフィルダー
と、サッカーにおいてのセンターラインをすべて経験してきました。
サイドでプレーしたことはほぼなく、
おそらく僕の足が遅かったことが関係していたと思います。
僕のサッカー選手としての人生はこの高校時代で終わりです。
ここからはサッカー観戦者となっていきます。
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