シャビ・エルナンデス バルサ人生を歴史で振り返る①
昨日の21日に、頭では分かっていても聞きたくない発表があった。シャビ本人が今シーズンでバルサの選手としての退団を正式に発表した。現役は続行でカタールのアルサッドに移籍が濃厚で、指導者としても修行をするようだ。
シャビの代理人や父親が退団と思われるコメントを残そうとも、本人の発表がない限りは最後の最後でどんでん返しがあるのではと思っていたが、昨年の夏の再現とはならなかった。
今回は「シャビがバルサのトップチームデビューをしてから、バルサの歴史と共に振り返る①」というテーマです。
■ 目次
グアルディオラ2世で認知され出す
1998年の18歳の時にトップチームデビューをし、デビュー戦でいきなりの初ゴールを記録。この試合自体はチームが敗戦したが、これでバルセロナのシャビが誕生した瞬間だった。この98/99シーズンはBチームと行き来しながらの出場になったが、トップチームでは26試合に出場した。
そのシーズンの最中に行われたワールドユース選手権では、Uー20スペイン代表の一員として優勝に貢献。決勝では日本代表に4対0で勝利し、日本代表の躍進と共にこの大会を知っている人も多いだろう。
99/00シーズンは思わぬ形でトップチームの試合の出場を確保する。グアルディオラの怪我によりシャビが大抜擢。そこからシャビはトップチームで自分の居場所を確保し、トップチームに帯同するのが普通のことになる。ここから2シーズンは完璧なファーストチョイスではないが、2シーズンとも30試合を超える出場を記録。着実に成長を続けたが、この当時はポジションがボランチということもあり、グアルディオラとの比較に悩まされることが多かった。
必要不可欠な存在になるが、チームは暗黒時代
01/02シーズンからは、グアルディオラの退団もありスタメンを確保する。コクーの相方としてダブルボランチで起用されることが多くなる。守備面の弱さをコクーがカバーし、攻撃面のシャビの展開力はバルセロナに必要不可欠なものになりだした。
02/03シーズンもシャビはスタメンを確保する。前半戦のファンファール監督、後半戦のアンティッチ監督でもポジションを渡さず、バルセロナの中盤の攻撃に欠かせない存在になった。しかし、バルセロナのチームとしては99/00シーズンからこのシーズンまでの4シーズンは無冠となり、バルセロナでの存在価値は高くなっていたが、世界的にはほとんど名声はなかった。
ターニングポイントになるポジション変更
そして03/04シーズンというチームの復調のシーズンがやって来る。ライカールト監督が就任し、ロナウジーニョがチームに加入した。前半戦こそ不安定な戦いだったが、後半戦にダービッツがレンタルで加入してからバルサの快進撃が始まる。ロナウジーニョの活躍もあったが、シャビの活躍は本当に大きかった。ボランチの位置からセントラルの位置にポジションを変更し、コクーとダービッツが守備のカバーをしてくれる為、シャビはより高い位置でのプレーをすることが出来た。シャビの正確なパスからゴールも多く生まれ、バルサは19節から17試合連続無敗を記録し、リーガでは最終的に2位でフィニッシュをした。昨年が6位だったこともあり、チームの復調にバルサファンはタイトル獲得こそできないシーズンだったが、翌シーズンの期待も込めてある程度満足感を得るシーズンになった。