バルセロナの哲学(スペクタクルなサッカー)より大切なものは「勝利」!?

カンプノウでのクラシコを2対1で勝利したバルセロナ。今シーズン最大の観客動員数(98760人)も記録し、バルサファンだけならず世界のサッカーファンがその試合に注目した一戦だったはずだ。

そこでバルセロナが見せたサッカーは、決して自分達の哲学に沿ったサッカーではなかった。むしろ、対戦相手のレアルの方がバルサらしいサッカーをやっていたとも言える。

今回は、「バルサのサッカー哲学と勝利のどっちが大切なのか」についてのテーマです。

バルサのサッカー哲学とは

まずバルセロナの哲学とは何なのかについて考えていきたい。その哲学に対して、シャビのコメントがとても分かりやすい。

シャビが一言でいうなら「スペクタクルなサッカーをやろうとする気持ち」と表現している。

バルサは常に攻撃的なサッカーを実践しようとし、基本的なコンセプトはボールを動かすことである。ピッチを広く使い、ボールポゼッションを高めることでもある。そして、守備時にも攻撃的で、積極的にプレスをかけてボールを奪いにいくことでもある。

自分達がボールを保持し、試合をコントロールすることでもある。そして何より、常に攻撃的なサッカーを実践することでもある。

クラシコの戦い方は・・・カウンター狙い

今回のクラシコでのバルセロナの戦い方は、完全にカウンターを狙った戦い方であった。前半立ち上がりから先制点が入るまでは、ボールを保持しようとしていたのは確かである。

先制点が入り少し時間が経ち25分ぐらいからは、カウンター狙いにシフトチェンジしたと言って間違いない。これは自分達で変更しようとしたと言うよりは、レアルの攻撃を防ぐうえでその戦い方が一番良いと思ったのと、レアルからボールを奪えないという押し込まれた状況の2つの点が大きかった。

同点になってからはボールの主導権をレアルに渡してでも、失点しないように試合を進めていた。そして、カウンターで勝ち越しゴールを狙っていた。前線の選手の能力を活かす為にも。

クラシコでの戦い方はカウンター狙いが主だったけど、これは自分達が率先して行ったというより、レアルの攻撃力によって仕方ない部分があった。

「バルサの哲学<勝利」がエンリケバルサの戦い方

エンリケバルサは今までの記事(下の関連記事にあります)でも書いたように、まず最初に求めているのが「勝利」である。

その為には言葉は悪いが「勝利する為なら何でもする」精神である。もちろん反スポーツ的行為や人道に反することではない。

バルサの近年大きくメンバーが変わらないストロングポイントは、間違いなくボールポゼッションの高さと質である。これは簡単に書いているが、実践できるチームはほとんどいない。

そして、ウイークポイントは攻守のセットプレー、カウンターの攻守が挙げられる。これはサッカーを少ししか知らない人でも、バルサの弱点として知っていることである。

しかし近年のサッカーの得点の割合はセットプレー、パスの本数が少なく奪ってからの速いカウンターが半分以上を占めている。バルサはこの2つの得点パターンが他のチームより圧倒的に少なかった。

そして、ルイス・エンリケはバルサの哲学でもあるポゼッションサッカーを高めることより、弱点のセットプレーとカウンターを高める方がより勝利出来ると感じているに違いない。

ポゼッションサッカーを捨てたというより、対戦相手の特徴と自分達の出場している選手の特徴によって戦い方を決めている。試合展開や時間帯によっても戦い方を変化させているが。

昔のルイス・エンリケのコメントで「戦う上で自分達の戦い方にいろいろなバリエーションを持つ方が良い」と言うように、状況によって最善と思う多くのバリエーションを持ったチームと言うのがエンリケバルサの戦い方である。

エンリケバルサはボールポゼッションに固執せずに、勝利する最善の戦い方をするチームと解釈することができる。

これをバルサらしくないと思うバルサファンもいるだろうし、プロだから勝利するのを最優先に考えて当然と思うバルサファンもいるだろう。決して最善の答えは出ない( ̄▽ ̄)

バルサファンの意見は一つにまとまらないだろうが、クラシコを見たバルセロナのレジェンドでもあるヨハン・クライフ氏のコメントを持ち出すと「ああいう試合は好きではない、観客としては楽しめなかった。しかし、一人のバルサファンとしてはプレーの質が悪くても勝利を望む」というのがバルサファンの本心なのではないだろうか。

 
 

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